環境悪化で20年先も信用できない時代になってきたように思います。危機感はありますが、恐怖は今ひとつ感じません。長生きをすれば人類の滅亡を見ながら死んで行くこともあるでしょう。恐ろしい光景なのでしょうね・・・
自らの生命の危機を感じながら生活をしたことが無く、戦争の夢で感じる恐怖もなにか人為的な恐ろしさですね。マチュピチュやエジプトの文明が滅びるとき、氷河期に入り原始人が死に絶えたとき、世界の終わりを感じたのでしょう。それを私たちも目の当たりにするのでしょうか?
miki
久しぶりにおうちに帰ってきました。体がほっそりして意識がもうろうとしています。すごく疲れているのに眠れません。
今日は設計の講評会がありました。不甲斐ないというか十分な講評もしてもらえず達成感もないまま終わり、とても悔しい気持ちでいっぱいで帰り道の記憶がありません。
今回の設計は意味深な前日提出で、かなり精神的に疲れました。miki君も言っていましたがある一定の期限に向かって作品をつめて、ボードとして出すと、ひと段落ついて、終わった感のような脱力感にかられます。しかもその提出もさほど重要ではないもので、精神的に参ってしまいます。それでもなんとか自分を奮い立たせて作りました。しかし結果はついてこず、前日未提出だった二人が選ばれました。何より悔しいのが、先生に「いいねーいいねー」しか言われなかったことです。ほめられると怖くなる性格の僕だからっていうのもありますが、具体的な指摘もなくただ時間が過ぎていき、最終的には先生の材料うんちくで時間がつぶれました。消化不良です。
不思議です。今、自分の作品を見ると溜息ばかり出て、ついさっきまで模型作る気まんまんだったのに、今は見たくもありません。同じ状況下で今も学校で頑張っているmiki君はやっぱりすごいです。
話ずれますが、片桐君がいま過去の作品を作りなおしているのを見てとても感心しました。すごいことだと思います。
過去の作品って作り直すのって生半可な意志ではやりとげられないですよね。どうしてなんですかね。そう思ってしまうことがなんかさびしいです。作っているときは最上の愛情を注ぎこんで模型も細部まで凝ったりして作り上げていくのに、提出の日をすぎると、明らかに乱雑な扱いをしてしまいます。ポートフォリオで困るってわかっていても。
製図室に無秩序に転がる先輩の卒業設計は見るに堪えません。過去を頭の中で整理して、不必要なものは適度に排除して人は生きていくものですが、模型をちゃんと捨てることもせず、放置という形で終わらせてしまうのはどうかと思います。建築は解体して形として無くなるまで責任があります。そこはわきまえておきたい心ですよね。
話がまとまりません。
疲れました。お酒でも飲んで無理やり寝ます。そして切り替えます。
masudasi
生活リズムがずれ込んでしまいました。
いかんです。これはいかんです。
僕の場合、理論は別に展開・用意しておいて、その時に興味ある事とすりあわせて設計する手法のような気がします。
イシカワ氏の線形に並んだ展開がむしろ興味深い。
ぜひ今度ハイライトを聞かせてください。
夏の長期休暇に入る前の時点では、卒計は「記録」だと思っています。
以前miki氏も言っていましたが。
卒計で納得のいかないものができるということはないと思うので。
その時の最も「美しい」「建築」を考えます。
「美しい」と「建築」の最高のブレンドができればいいと考えます。
眠いです。いっぱい寝て設計がんばります。
kam
メシを食べるとウマイと感じます。
眠りに落ちる瞬間はとても気持ちがいいものです。
風呂に入るとサッパリとして、爽やかです。
こんなふうに、ふとした瞬間、ウットリしてしまうほどの幸せを感じれるのが人間です。
当たり前の、くだらないようなことでも幸せを感じることが出来ます。
そう考えると、世界に何が起こっても、何とかなるんではないかと思います。
今までの人類の歴史がそうであったように。
会社が倒産しても、少子高齢化でも、地球温暖化しても”なんとかなる”。
なんとかなるから何もしないとかじゃなくて、
なんとかなるから失敗を恐れない。
巨大な高揚感を求めて突き進め。
ヒロシ
昨日と今日ずーーっと神田駅にいました。
総時間12時間以上はいました。設計の敷地調査してました。
コンペばっかりやってて設計をおろそかにしていました。まったく情けない話です。逃げてただけなのかもですね。
ってことで今からではもう間に合わないかもですが、設計をやり始めました。
僕は敷地調査をよくします。誰よりも敷地にいる時間は多いといつも思っています。そんなにいても意味ないと言われればそうなのですが、とにかくいます。何回も見る視点を変えて、何回も歩きます。
駅に着くやいなやまず、ずーっと駅内の柱の間隔や大きさ、階段の数、蹴上げ、踏面をまさかの15尺で地道に測っていました。
何時間たったでしょうか。ずっと見られていた気はしていたのですが突然駅員さんが近寄ってきて、ニコニコして絡んできました。事情を話すと、そのおじちゃんはテンションあがったみたいで、とっても駅員さん独自の要望をボカスカ言ってきました。途中から彼のマイホームを建てるんじゃないかくらいの個人的な要求になって、少し戸惑いました。でもとてもうれしそうに話すそのおじちゃんの顔を見てるとなんか幸せな気分になりました。
そのあとはそのおじちゃんの紹介で、現在東京駅と上野駅を結ぶ東北縦貫線の建設の説明を聞きに行きました。神田駅の上に線路が通るんですって。高さ22メートルにまでなるそうです。神田には止まらないのに。そりゃ町の人も反対するわな。でももう始まってるんです。もともと留置線が通っていてそれを復興するだけといっていましたが、そんな簡単な話ではないですよね。
完成予定模型を使いながら豪華にも1時間ほどプレゼンしていただき、とても貴重な話をしていただきました。この現状を知らずに設計をしていたら、大変現実味のない設計になるところでした。ってかそれを考慮すると前代未聞の難しい設計になりそうです。
今日は久々に町の人にインタビューしたりしてみて、新しい出会いがたくさんありました。また一人旅に出たくなりました。
話を聞けば聞くほど設計は難しくなるものですが、知らないで設計することほど怖いことはないので、そこは怠らないでやろうとおもいます。
・・・でもきっと終わらないだろうな。。。
ってか最近片桐君や石川君や福田君やなおきくん、ってかみんな。みんながバラバラになってきてそれぞれなにかに頑張っている姿をみていて、とても焦ります。大学院のお勉強をほぼやっていない自分がうんちに感じます。設計とコンペと勉強を両立させるのは無理なのかもしれないけれど、どれをさぼっても逃げている感にかられます。そういう状況の中で取捨選択していく器用さも重要なのですが、今は全部大切な気がします。どれも一瞬で捨て去ることができる状況の中でいかにがんばれるか、がウンチ人間の僕が社会人になる一つの課題でしょう。
そして自分を刺激してくれているみんなに感謝します。
masudasi
自分の処理能力が落ちたのかと考えることがあります。
前期中、卒計に向けて割と真剣に設計をやっているのですが、処理速度が落ちたなぁと思います。
もともと早い方ではないと思うのですが。
エスキスの前日からスタディやってもってくるとか、一日でコンペやるとか。
そういうことを耳にしますが、最近それに感心します。
むしろ尊敬すらします。
僕にはちょっと無理だなぁ。
何にでも時間がかかる(ようになった)気がします。
扱っている情報が増えて、思考が数多く枝分かれしたと言えば聞こえはいいですが。
少しスピードをあげる訓練も必要な気がします。
時間は限られているし。
と思うのです。
kam
できることからはじめよう
身近なところから考えよう
ひとりが変われば地球がかわる
よくきくことばですが皆さんはどれくらい行動に移せていますか
自分が環境に対してできることは本当に微々たることです
マイ箸、マイバッグ、いろいろなグッズが売られていますね
CO2排出量を抑えた車、電化製品
何かを売り込むためにもエコは高らかに謳われます
確かにそれらは環境を考えた商品かもしれません
しかし、それらを消費、手に入れることはあらたな廃棄物を生み出すことと同義でもあります、
また、それらを生産するために、流通させるために、広報するために、
環境は確実に破壊されています
なにが本当に環境によくて、なにが悪いのか、
正確な情報を得ることが大切なのではないでしょうか
そして、今日当たり前に語られる環境問題を自分自身の中で真剣に考え、
行動していく、それが
「できることからはじめる」ということにつながっていくのだと思います
僕自身はコンビニで買う食事をひかえて
学食で済ますようにしています、本当はお弁当つくっていくのいいのだろうけど
学食は箸がプラスチックです
めん処はまだ割箸、松屋はプラになって、すき家はまだ割箸
できることからはじめよう
タムラ
僕のパソコンはまーうんちです。いやっウンチ以下だな。
今日一日かけてつくったインテリアデザインコンペのボードが保存できなくてなくなく今消しました。「不明なエラー」ってなんなのですかね。
ちょっと外でも歩いてから、もう一つの方のコンペのボードでも仕上げるかなー。早くパソコン買おうっと。
masudasi
卒業できる人間でありたい。
最近それしか考えてない。
でも、できるかわからない。
怖い。
留年することではなく、自分の実現力のなさを認めるのが怖い。
ヒロシ