- 2008/07/06(日) 04:40:06|
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たまに思うけど、僕は男が好きです。
でも、これでは誤解を招くかもしれないので言い換えると、男らしい人が好きです。
男でも女でも、女々しい人が苦手です。男くさい人、汗臭い人が好きです。
「キャー」と叫ぶ人より、「ウオォー」と叫ぶ人が好きです。
これは共感してくれる方が多いのではと思うのですが・・・ただ、そんだけです。
ちなみに、僕の彼女は男らしいです。
ヒロシ
- 2008/06/29(日) 13:35:49|
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僕は泣くのが大好きです。
みんなの前では泣かないけれど、一人でたまに泣きます。
特に悔し涙がすごく好きです。
悔しくて泣いているときは、とても幸せです。
泣きたくなるほど頑張って、でも目標に届かない。
その状態に美しさを感じます。
だからいつも自分に言い聞かせています。
「お前は今この瞬間、泣けるくらい頑張ってるか」と。
特に死ぬときは泣きながら死にたいですね。
僕は絶対に実現することのできない理想を追い続ける人間です。
ヒロシ
- 2008/06/20(金) 23:20:21|
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Bonjour.
Comment allez-vous?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Il y aura l'approbation officielle française après-demain.
Aidez-moi!
Bonne chance!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Au revoir.
KATAGIRI en France.
- 2008/05/25(日) 22:36:57|
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最近心が痛むことが続いてさすがに参ってきた。無気力状態。
今日目の前で人形のように見知らぬおばあちゃんが倒れた。
寝過した電車から急いで降りて、反対車線まで走っていた矢先の出来事。
そこにいたのはおばあちゃんと僕の二人。
急ぐ僕が追い抜いた瞬間、横でおばあちゃんが崩れ落ち、鈍い音がした。みるみるうちに人が集まり、僕は時計で時間を調べ、ばーちゃんを必死に呼んだ。意識がないのを確認し、すぐに駅員さんを呼びにいき救急車を呼んだ。それからすぐもどっておばあちゃんの脈をさわって、うすら覚えの心臓マッサージ。もらした尿のにおいが充満しながらもとにかく必死だった。すぐに救急車はきて処置された。救急隊員にその場を任せて後ろに下がった。その瞬間自分が集まった野次馬の一員になったような気がして、いてもたってもいられず、逃げるように立ち去った。その後はどうなったかわからない。記念品のタオルみたいなものを渡された。
悔しかったのは、追い越す前に異変に気付けなかったこと、通りすがった看護婦がクソ役に立たなかったこと、駅員が冷たかったこと、そしてなにより野次馬の非協力的な態度。せめて道をあけてほしかった。僕の年齢的に、孫だと勘違いしたんだろうか、同情の目で見られた時は殴りかかりたかった。
帰りの電車で記念品のタオルを眺めていた。結局何もできなかった残念賞にしか見えず、とにかく悔しかった。
どうか生きていてほしい。
連日、自分の不甲斐ない人間性があらわになる瞬間にであい、とにかく辛い。寝過した電車含め、今日のシチュエーションは運命としか思えない。その中でいかに大事に人間らしく生きれるか、それがその人の本当の器量なのかもしれない。なんか今日は誰かに試されてる気がした。そして結果カスだった。最低限心臓マッサージ、人工呼吸、AEDは使えないと話にならない。恥ずかしくてならない。
そしてあの野次馬の目は忘れられない。
世の中そんなに甘くない。今胸を張ってそう言える人なんているのだろうか。
masudasi
- 2008/05/24(土) 17:40:11|
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社会人は良く、学生に「世の中そんなに甘くない」とかっていいます。
彼らの言う「世の中」とは、一般社会のことでしょうか?
ならば、世の中よりも学生の方が甘くないですよ。
と、言いたくなる。
社会に出たら、責任というものがある。
だから、フラフラできる学生は親にも、社会にも、色んなものに甘えてる。
それは、その通りだ。
というか、当たり前で、学生の定義みたいなもんです。
だからこそ、学生はよりシビアな世界に生きている。
「責任」
非常に都合のいい言葉ですよね。
社会とか、組織のルールの中に居る人はこれに怯えて生きていて、逆に責任によってルールが成り立つ。この場合のルールは罰に近い意味です。
学生はルールがない。つまり、罰がない。罰しようがない。
何をするにも、誰もあてにしてはいけない。
最悪、あらゆる全ての責務を自分が背負い込む覚悟で行動する。
信頼よりも裏切りの数の方が圧倒的に多い世界で生きている。
そんな気がしただけです。
イシカワ
- 2008/05/18(日) 16:11:17|
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最近いい天気ですね
ピクニックとかしたいですねー
それよりも四川の地震ですよねー
たいへんですよねー
mki
- 2008/05/07(水) 01:16:40|
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ハイゼンベルグの不確定性理論について…
という難しそうな話はやめて、
みなさんは運命を信じますか?
僕は信じています。
運命とはプログラムです。神、アカシックレコード、大いなる意思、呼び方は世界にたくさんありますが、僕はプログラムという言葉が一番しっくりきます。
プログラムには目的があります。
運命に逆らおうとすることも、逆らっているつもりになっていることも、ただ身をゆだねることも、全てプログラムの内の一部だと思います。運命は変えられないでしょう。
でもプログラムには目的があるのです。
それは僕たち個人個人には関係のないものかも知れません。
でも、そこに悲観する人も、歓喜する人も、何も感じない人も、幸せな人も、不幸な人も、植物にも、空にも、500円玉にも、全ては等しく価値があるはずです。そう信じています。
最後に、ヴェートーヴェンの「運命」を。
イシカワ
- 2008/05/05(月) 01:34:20|
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- 2008/05/02(金) 12:59:52|
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今ニッポンのテニス界で錦織くんや伊達さんなどが注目されています
僕もテニスは小学校のころからやっていました
久しぶりにテニスのことについて話をしようと思います 個人的な話
テニスは一人、多くて二人でプレーするスポーツです
その孤独なプレースタイルはとてもカッコイイと思います
テニスの試合は今で言うコンペのようなもので、学校とは関係なくお金を払ってエントリーするのが普通でした
すべて自分次第ということです
テニスに必要なのはデザインであり、哲学であり、自分を客観的に見る目です
今自分の感性や感覚はテニスからきていると改めて思います
知り合いのコーチに全日本ベテランのチャンピオンだった人がいます
その方のアドバイスにとても印象に残っていることがあります
「どこに打つと事前に決め、相手のプレーに関係なく絶対に狙いなさい」
この言葉は自分(精神状態)を排除するということです
こう聞くと単純な考え方だと思うかもしれませんが、僕には見えないデザインを感じるのです
それは長い時間と努力で淘汰され洗練された考えだと感じるのです
何よりその人のテニスが証明しています
本当に「強い」ということを知ったのもテニスです
強い人は勝ちます
そこにまぐれはないのです
それがテニスです
本当に強い人は厳しい体勢でボールをラインにのせてきます
負けそうな試合でも結局勝つのです
「結局勝つ」ということは最高にカッコイイことだと思うのです
優秀な選手だった同期や後輩や先輩にはとても多くのことを学びました
今年はAIG見にいこうかなと思います
miki
- 2008/04/28(月) 03:35:18|
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「好きだ、」という映画を見ました
水の音、草の音、風の音、足音、そして声の音
音であふれた風景にストーリーとも言えぬようなストーリー
そしてとっても女性が美しい
音楽にアンビエントというジャンルがあるけれど、これはまさに映画でのそれ
環境のような映画
僕はそのような音楽や映画にとても魅かれます
同じく
「tokyo . sora」も
監督も同じ
僕にとってはとても心があったまるのです
皆さんも見てみてはいかが?
miki
- 2008/04/28(月) 01:05:08|
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デザインの議論をしていると、自分や他の人の感性についてよく感じることがあります
皆同じ様な思考の源泉を持ち、または目標を掲げているのだと感じるのです
人の思考にはプロセスがあります そのプロセスは人によってまちまちで、幾重にも枝分かれし、行き止まり、そして収束して行きます
つまりスタートとゴールがそれぞれすでに決まっていると思うのです
たとえば行動における思考のスタートで「幸せになりたい」から始まり、ゴールは「気持ちいい」のように
それは欲求から始まり、満たされて終わる完全に内的な感覚です
しかしデザインにおいて重要とされてしまうのはプロセスにおいての「見立て」や「発見」だと思うのです
なぜならそれはゴールを説明するためのプロセスだからです
デザインは制作のプロセス自体だとも言えます
プロセスにも多様な段階があり、デザインプロダクト、建築などと呼べる段階に達せない物から、プロダクト(プロセス)を説明するために、プロセスのプロセスも必要になってきます
それが見立てや発見などの説明です
プロセスの多様さは混乱を招き、コミュニケーションの食い違いを発生させます
しかし求めていることはあくまでゴールであり、そのゴールを感じてもらうためにプロセスを説明する必要があるのです
デザインはゴールを感じてもらうためのデザインです
別の言い方をすればデザインは欲求のメタファーであり、ゴールそのものではないということです
アートにプロセスが加わるとデザインになると思うのです
つまりアートは鑑賞する側にとってはデザインに変じるのです
miki
- 2008/04/25(金) 02:34:26|
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ラヂオをよくききます
中学生のころからきいていますが、
最近は特に模型をつくっているときにききます
目に見えなくても
パーソナリティの表情、スタジオの様子なんかが
音、声などでイメージできることもあります
話はとびますが
中村拓志さんの卒計は
目の見えない方の住宅だったとかないとか
空間は主に視覚で認知するものと思い込んでしまいますが
もっと様々な感覚を探ってみるのも大切なのでは
ラヂオをきくことがイメージにつながるように
空間を「聴」いたり「嗅」だり「触」れることができるようになれば
新しい何かが見えるかもしれません
ウマクマトマリマセンデシタ
タムラ
- 2008/04/24(木) 19:36:45|
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- 2008/04/23(水) 15:35:17|
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最近、本当に心地のいい天気ですね。
春に関して一つ好きな言葉があります。
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同
ねんねんさいさいはなあいにたり
さいさいねんねんひとおなじからず
と読みます。
深いですね。
イシカワ
- 2008/04/23(水) 08:38:49|
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日本人はあまり感情をあらわにしません。
一方、ラテン系は感情が見て取れます。
幸せなときは幸せに、悲しいときは悲しそうに。
どっちがいいのだろう。
そう考えると、僕が作り出したいのは「笑顔」ではない気がします。
「幸せ」の数値化って難しいですね。
どれを普遍的な値に持ってくればいいのでしょうか。
ヒロシ
- 2008/04/22(火) 01:23:18|
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mixiにも書いたけど、写真が好きだからここでも公開します。
僕は「破壊」が好きで、しかも得意です。
「破壊」が僕の売りであり、モットーです。
ヒロシ