何となく思ったこと
日本の首都、トーキョー
最近は行く機会が少し多くなってきました
自分は埼玉で育ったので
トーキョーはそばにあるけどなじみのないところでした
ぼんやりと霞んだイメージ
もっと遠くからからトーキョーをイメージしたかったな
と思うことがあります
都会への憧れ、文化の最先端、ビル群、人ごみ
そんなイメージをいだき純粋な好奇心とともに上京
という自分でありたかった
高校生までは中途半端に近いのでトーキョーを変に知っている様な気でいました
渋谷なんてすぐいけるぜ。的な。
でもまだ1/1000も知らないのだろうなと思う今日この頃
みなさんはどんなイメージを持っていましたか
そして今はどう感じていますか
タムラ
そういえば、
DeSCの住宅設計研究会「フラット」の記事が上がっています。
→
建築・住宅設計研究会
イシカワ
木村カエラもカバーしてるこの曲。
すごい可愛らしい曲のイメージだったけど、昔の見ると渋くて良いですね!!
50年代かな?
ギターソロとかホント渋いです。
みんな楽しそうに音楽やっています。
羨ましいです。
まあー、とりあえず格好良いですね!
カタギリ
ハイゼンベルグの不確定性理論について…
という難しそうな話はやめて、
みなさんは運命を信じますか?
僕は信じています。
運命とはプログラムです。神、アカシックレコード、大いなる意思、呼び方は世界にたくさんありますが、僕はプログラムという言葉が一番しっくりきます。
プログラムには目的があります。
運命に逆らおうとすることも、逆らっているつもりになっていることも、ただ身をゆだねることも、全てプログラムの内の一部だと思います。運命は変えられないでしょう。
でもプログラムには目的があるのです。
それは僕たち個人個人には関係のないものかも知れません。
でも、そこに悲観する人も、歓喜する人も、何も感じない人も、幸せな人も、不幸な人も、植物にも、空にも、500円玉にも、全ては等しく価値があるはずです。そう信じています。
最後に、ヴェートーヴェンの「運命」を。
イシカワ
今日、ガストで夕御飯をみんなで食べた。会計を僕が一括で払い、そのあとにみんなから小銭でお金をもらった。
ずしりと重い財布。開けてみると500円玉が六つ入ってた。こんなことってなかなかない。
そしてふと思い出した。記憶にある中で初めて手渡しでもらったお年玉のことを。
初めて手渡しでもらったのは確か10歳の時で、お年玉は500円玉3つをセロハンテープで一列につないだだけのチンケなもの。しかも兄たちはみんなお札であるのに対し僕だけコインだった。それなのになぜか優越感に浸ってよろこんでいた覚えがある。
まだそのころは旧500円玉で銀色のコイン。僕にはその銀色とコインの重みがたまらなくうれしかった。親には預けず、ほっぺにつけて、そのひんやりした3つのコインをいつまでも大事にとっておいた。
今財布にある、6つの金色の500円玉。そしてあの時もらった3つの銀色の500円玉。10年たって2倍になったコイン。色も変わって、金ぴかだ。
学校の帰りその6つのコインを電車の中で手のひらに並べ、眺めてたら、不思議なことに製造年号が、平成13年×2、15年、17年、18年×2、20年だった。縁起の悪いと言われる「4」「6」「9」がひとつもなかった。
電車の中だったけれど涙が出た。
今日おばあちゃんが急に息を引き取った。正直まだちゃんと受け入れられていない。
けれど、今日起きたことは決して偶然のことではない気がする。
大好きな友達から何気なく受け取った6つの500円玉を大好きなおばあちゃんの最後のお年玉として大事にとっておこうと思う。もちろんセロハンテープにつけて。
正直こんなことこのブログに書いていいことかわからないけど、書かせてください。
masudasi